追い込みだね!クリエイティブでマクリスティ(Super)

活動終了!
冊子は多少やりすぎた感もあるが、まあ……ごめんなさいね。深夜に作るとろくなことがありません。でも古代ギリシャ哲学のくだりは気に入ってる。後半がアレだけど。
……4つ全部の元ネタがわかる人はいるんだろうか。いたら友達になりましょう。
ってか、今日がマジで最終の活動だったんだなぁ。
もう木曜の活動にも土曜の活動にも参加することはないわけか……。不思議。
まあ、ゲネプロ及び本番前に歌のリハはあるけどね。最終声出しもあるけどね。


相鉄ストはなくなったようです。いよっしゃあ!
これで後の憂いはない。


初音ミクMEIKO+KAITO) オリジナル 「おもいよとどいてよ」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1494804

初音ミクという名が指し示すものは2つあります。
ひとつは、DTMソフトのこと。
もうひとつは、そのソフトのイメージキャラクター。
つまり、初音ミクにより演奏されている曲は、歌い手がどうとか言うよりは、むしろ初音ミクという楽器を使って作り手が想いを届けるということになりますね。
私達が歌っている民謡は、曲を作った人は歌い手である私たちとは遠く離れており、そのため、曲の作り手の想いが純粋に反映されるということはありません。私たち歌い手の想いというノイズが入っています。
歌い手の想いっていうのは、解釈かな。作者が何を考えていたのかなんて正確に理解はできないけど、想像することはできる。
その過程があるからこそいい演奏になるのでしょう。
 
ところで、想いって何だろう。
1年の時とかは何のために曲想するのか本気でわかってなかったなぁ。想いという「精神的な要素」とそれ以外の「技術」を分けて考えていたからでしょう。
んで、技術さえあれば別に想いなんていーじゃんというノリになっていました。
でもね、曲想するのとしないのとじゃ歌い方が変わるはずなんだよね。
歌い方というか、音楽に対する姿勢というか。
曲想が半端だとどうしても受け身になるからなぁ。眼光紙背に徹するような気構えを持って臨んでいきたいものです。
というわけで、持論としては、「想いを深めるということは、曲の内容を知り、その上で自分がその曲をどのように扱っていきたいかというビジョンを持つことである」というもの。
技術は、そのビジョンを実現するための手段。
(……ただし、想いがなくても技術があればそこそこ聴けるが、いくら想いにあふれていても技術がなければ聞き苦しいことこのうえない)
 
そういえば誰かが総会で言っていましたね。
「伝わるかどうかが問題なんじゃない。伝えようとすることが大事なのだ」と。