構成もオチも考えずに文章を書くとこんなことに(Super)

どうも、今日は2限しか授業が無く、さっさと帰路に着いたのですが、和田町駅まで来てふと鞄の中を見たら携帯が無く、教室内に置き忘れたことが判明したので取りに行ったところ、すでに3限が始まっており、しかも満員状態で、かつ自分がどこに座ったのかを忘れており、結局3限が終わってから携帯を回収して帰りました。


僕には嫌いな言葉があります。
「それに付随して」とか、
「せっかく〜なんだからもっとこうすればいいと思う」とか、
「揚げ足とり」とか、
「思いやりを持って」とか。

まあ要するになんか総会とかで微妙に流行ってる語調だから嫌なんですよ。
決してこういうことを言うのは良くないとか言ってるわけではないです。
まあそんなこと言っておきながら自分も使うんですけどね、この言い回し。


ところで、人間には流行りものを追いかける心理と、あえて流行から遠ざかる心理の二つがあると思います。
前者はみんなと同じ価値観を持つことで自らを安心させたいという欲求、
後者は大衆に迎合せず、個性的でありたいという欲求。
たいていの人はこの二つを両方持っていると思います。


この二つの欲求のうち、どちらを前面に押し出したほうが無難かは明白です。
なぜなら、多数の人の幸福を追求するというほうが社会的に理に適っているからです。
流行から目を逸らして生きるということは、その分自分を不利な状況に置くということになります。

たとえば、僕はワールドカップに全く興味がありません。
サッカー?何それおいしいの?
ドイツで行われたやつなんかは日本の試合が行われてる日に至っても存在すら知りませんでした。
こんな体たらくでは、サッカーの話題が出た瞬間海の底で物言わぬ貝になるしかありません。
まあそれくらいなら別にいいんですが……
人によっては「この非国民め!」とか言いたくなるかもしれないだろうし。
それは大げさとしても、ワールドカップ開催を知らないとか、無知の謗りを免れないですよね。


何の話だっけ。
ああ、つまり、自分にとって興味のある情報だけを偏って集めるのではなく、ある程度はメジャーな路線をチェックしないと生きにくいということです。当然ですね。
しかし、世の中はそれだけが全てではありません。
というか、これが全てだったらみんけん終わってます。
「サークルは何やってるの?」
と聞かれて答えるとなんとも言えない微妙な雰囲気になるという境遇にあっても、私たちは生きることを諦めず、精一杯日々を過ごしています。

これは、ただやみくもにマイナーな方へ走ることで自分を主張しようとした結果ではなく、自分たちのやっていることにそれだけの価値があると判断したからこそこうなっているわけで、だからみんけんにいることに迷いも後悔もないわけです。
まあ一時期「週6日もみんけん三昧とかマジねーよ」とか思ってたりしたわけですがそれは置いといて。


だからサークル何やってるの?と聞かれたとき、最近は面倒でもできる限りきちんと説明することを心がけています。
いまいちわかってもらえてない気がするのは否めないですがね。


ところで話は吹っ飛ぶんですが、
みんけん人は長調短調では短調のほうが好きという割合が多いというのが僕の持論です。
正しいかどうかはわかりませんが、主観(偏見)に基づいた統計的に見るとそうだった。
やっぱ民謡自体がマイナーだからなのかなぁ。
というか、世間一般でも割合は変わらないのかもしれないけれど。
……マイナーという言葉が出たので関連もないのに書いてみた。
ちなみに僕はAmとかEmとか大好きです。
曲にもよるけどAとかEとかは嫌いなことが多い。


というわけでいつも通りオチのない文章でした。
もちろん意味もない。